新1万円札紙幣 渋沢栄一氏とは?渋沢栄一を超える経営者はいない
なぜ渋沢栄一先生が日本近代資本主義の父と言われるのか?
新1万円札紙幣に選ばれた渋沢栄一氏とはどんな偉人なのだろう?非常に偉大な功績を残されたにも拘わらず、名前を知らない人も多いのではないでしょうか?
まず、写真から見てみましょう。
ちなみに新紙幣の発行は、財務省のHPによると、ちょっと先のようですね。
発行時期 2024年度上期を目途。
写真:財務省HPより
話を戻しまして、渋沢栄一氏が何を成した人なのか?実は、この未来生活研究所の所長、中野博が2017年に出版している『成功者はなぜ、帝王學を学ぶのか』で渋沢栄一氏について深く語っております。タイムリーなので、そこで中野氏による記事をボリュームたっぷりにご紹介させて頂きます。
渋沢栄一に学ぶ信和義塾シリーズ-
『成功者はなぜ、帝王學を学ぶのか?」
中野-博著 現代書林
『私の知る限り、世界中探しても、渋沢栄一を超える経営者はいない』
日本独自の自由主義経済を確立した渋沢栄一(500社以上もの企業経営に携わり、日本資本主義の父とされる明治・大正時代の稀代の経営者)は「道徳と経済の融合」を実践した事が世界にも知られ、かのP・Fドラッカーは来日して、渋沢栄一を研究した結果、こう言ったそうです。
『私の知る限り、世界中探しても、渋沢栄一を超える経営者はいない』
このたび、新一万札に選ばれた渋沢栄一による『論語と算盤』は、日本を代表する「大きな愛にみちあふれた」経営哲学書として、代々の経営者らに大きな影響を与え続けています。
じつは、渋沢栄一の経営哲学がドラッカーに影響を与えていたのです。日本人がドラッカーファンになったのは、間接的に渋沢栄一の経営哲学が好きなのだと、ドラッカーファンの私は分析しています。
それでは、これより渋沢栄一を研究していきましょう。
まず、渋沢栄一はこんな素敵な名言も残していますが、この意味がわかりますか?
『真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、けっして永続するものではない』
この名言にある渋沢栄一の経営哲学は、松下幸之助や稲盛和夫などに継承され、今なお、多くの企業者たちに受け継がれているのです。
これより、なぜ、渋沢栄一が日本の近代資本主義の父なのか?につき、掘り下げていくために、江戸時代の常識を分析しながら、考えていきます。
なぜ、江戸時代の身分制度で商人が最下層だったのか?
なぜ、江戸時代の身分制度で商人が最下層だったのか?
小学生の頃、社会の時間で『士農工商』という江戸時代の身分制度を学びましたよね?その時に、『なぜこのような身分制度があり、このような順番になったのか』と先生に聞いた方はいますか?
この「士農工商」の成り立った背景を元に、いかに「心(愛)のレベル」に応じて社会的にも信頼され、天(または神様)に愛される生き方が素晴らしいのか?を考えていきましょう。
「武士に二言は無い」という言葉を聞いたことがありますよね?
この言葉の重みを、昔の商人は知りません。昔の商人は教養もなく、自分の利益ばかりを考えて、人を騙し、嘘をつき、悪口を言うので、身分が低かったそうです。
武士は、刀を持っているから偉いのではないように、商人は、金を持っているから偉いわけではありません。人格の高潔さは、物の有る無しとは関係がありません。しかし、物や金は身分相応というモラルを狂わせて、破格、即ち分不相応という勘違いをさせます。
今でも、商人の中には私利私欲による成金が跋扈(ばっこ)しています。金がすべてと思い込んでいる経済活動が多く、軽薄な時代に迎合して、社会を混乱させる企業犯罪に歯どめが掛からないのが現状です。
だからこそ、いまなお商人は商売人という言葉にはどこか、お金の損得で考えるいやしい人というイメージが残っており、人格者とは思われない傾向にあるのです。
人格の格は、枝が日進月歩の勢いで伸び進んでいく意味で、人間性を究める真摯(しんし)な姿勢をいいます。インド、中国、日本で伝承されてきた“身分”とは、生まれや財力の有る無しではなく、心(≒愛)の大きさと智慧(ちえ)の高さに比例して順位が定められているのです。
どれだけ多くの人々をみずからの愛で魅了し、みずからの言動で救済ができるのかと言う意味です。この救済するレベルが小さな単位である家庭からスタートし、地域や会社へと愛の大きさを高め、最終的には国家や地球レベルまでにいくことが愛の成長段階となっているのです。
あなたの愛のレベルはいかがでしょうか?大きいですか?小さいですか?
自分だけを愛するレベル、自我、自利のレベルから進んで、家族を愛するレベルにまで進んでいる方はぜひ、友人や他人までをも愛して救済するレベル(会社の経営者やボランティアで多くの人たちと助ける人など)にまで挑戦してみませんか?
そのためには、どんな言葉を使うのか、どのような表現するのか?という口の聞き方がポイントとなります。
なぜ、口の使い方に気をつけるのか?
たはこれまでに、口の利き方で友達を失ったり、お客様にご迷惑をかけた経験はありませんか?
おそらく、誰でも1度や2度はあると思います。
それほど、口の利き方は重要であるにもかかわらず、訓練する場所はありません。
ご存知のように、すべての人間の活動を阻害するが“口の災(わざわい)”なのです。だからこそ、日本経済の基盤を築いた偉大なる創業者(政治家た経営者などのリーダーたち)らは言葉の使い方にかなり注意をはらっていたそうです。
世界のどんな宗教の教えでも、口に対する戒律が厳しい理由は、宇宙創世の“はじめにロゴスありき”で言葉には核エネルギーと同様の力があるからです。
ロゴスとは、神が定めた世界の神的な論理というニュアンスで、ギリシア時代の哲学者・ヘラクテレイトスが表現した真理です。
つまり『言葉一つで世界を創る事も壊す事もできる』からです。それほど、言葉というのは重要なのです。
仏教では、あらゆる戒律(かいりつ)を集約した『十善戒(じゅうぜんかい)』という経典において、十種類のうち四つが口の災に関する規制です。不妄語(ふもうご)つまり(嘘)、不悪口(ふあっく)つまり(非難)、不両舌(ふりょうぜつ)つまり(二枚舌)、不綺語(ふきご)つまり(過ぎた世辞)の4つは不殺生(ふせっしょう)つまり殺人と同じ罪になるそうです。
一般には「見ざる、聞かざる、言わざる」と注意をしてくれています。口が災いの元となっている人は、習い性となり直すことが難しいので、他人の欠点を見聞しなければ、悪口を言わずにすみ罪をまぬがれるから、という教えなのです。
実業家とはどんな存在のか?
そろそろ、なぜ商人の階級が最下位であったのか?気づきましたか?
嘘をつく商人は最下位ですが、世の中を良くする商人は『実業家』という地位の表現となり僧侶や公家よりも地位が高いのです。この『実業家』という地位を築いてくれたのが、あの日本資本主義の父とされる渋沢栄一なのです。
彼は、高いモラルと見識の向上により、近代的産業社会の担い手を育成するために『道徳経済合一説』をもとに、商人ではなく“実業家”という新しい身分を確立したのです。それを、ドラッカーが知り、日本まで来て、日本の経済人こそが今後の世界を変える!と書籍の中で語り、アメリカの起業家にも知れ渡ることになったのです。
渋沢栄一のように、時代を切り拓き、世界を変える実業家たちは下記の中で、僧侶よりも地位が高いとされているのです。
ここで言う『実業家』とは先見の明と経験智を合わせ持ち、歴史を動かし、時代を変革できる人物を見極めて、損得の如何にかかわらず支援し、援助する陰徳の実業家のことです。今どきの時代の権力者と結びついて、利権を得る悪徳商人とは異なります。
実業家を目指す人に対して、渋沢栄一は【道義を守り国家の発展に寄与する「国士」(こくし)たれ!】と言います。
ここで、歴史の端境期(はざかいき)に、新たな時代を担う聖人(せいじん)を陰で支えた国士を抜粋します。インドでお釈迦様に学園(祇園精舎)を寄贈したスダッタ長者。中世を切り拓く源義経をサポートした金売(かねうり)吉次。近世を切り拓く織田信長をサポートした堺の納屋衆(なやしゅう)。近代を創り上げる薩長連合と龍馬をサポートしたグラバー氏などです。
実業家の資質は、個人の経歴や人脈、識見やビジョンも大切ですが、何よりも重要なのが社会から信用される“人格”なのです。
帝王學という學問はそんな実業家を目指す方向けという意味は、まさに世の中をより良くする人格者を育成したいとの熱き志(こころざし)からスタートしているのです。
——————————————————————
【伝統的身分制度】
1:僧侶(バラモン)
:真理の探究により自然法則と人間の規範を定める。立法の働き。
2:公家(皇):文化や礼節、モラルをはじめとして天下公おおやけの仕事を司る。司法の働き。
3:武士:法の下に国家、国民の安全と秩序を護る。行政の働き。
4:農業:食生活の基盤を確立して社会の安定に貢献する。
5:工業:技術の進歩により社会の発展に貢献する。
6:商業:商業活動を通じて社会の繁栄に貢献する。
——————————————————————
ご覧頂きありがとうございます。渋沢栄一、帝王学に興味を持たれた方は、是非書籍で更に深く知ってくださいね。